生活を書く

暇にまかせて。

恥ずかしさ

 

<いつかの一皿>

 

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焼いただけの鶏。

美味しいね美味しいね。

 

 

 

今、自分がブログをはじめたての頃の記事を読んでいたのですが、何だか別人が書いた文章の様に感じました。そして恥ずかしい。

年単位で日記を書いていると、この感覚を否が応でも味わうことになる。

小学生の頃の私はそれが嫌で、でも日記は書きたくて、思ったことや出来事をあまり明確に書かない「ぼやっとした日記」をつけていた。

 

その作戦が功を奏して読み返しても恥ずかしい気持ちにならない日記が出来上がった。

が。

そんなぼやっとした日記を読んでも何も思い出せず、意味の無さを感じた。

それからはもう、恥ずかしくても真実を書こう、と決めて気持ちのままに日記をつけていた。

日記は楽しくて、読み返すと色々思い出してとても良いのだけど、やっぱり恥ずかしいので、死ぬ前には処分したい気持ち。

 

 

今はこのブログを日記がわりにしていて(ブログって写真も載っけられるしめちゃくちゃ便利ですよね?)もとから公開してるし、別に公衆の面前で言えない様な恥ずかしい出来事を書いてるわけじゃないので恥ずかしさはそんなにはない、と思っていたけどやっぱり何だか恥ずかしい。

 

 

恥ずかしいと思いながら、なぜ日記を公開し続けるのか。

それは自分のことを「だれか」に知って欲しいと思っているからなのかもしれない。

交換日記みたいな。

思いを共有したい、みたいな。

読んでくれる人がいるだけで心が軽くなる不思議。*1

 

 

 

にしても、過去の日記って恥ずかしい。

何が一番恥ずかしいかっていうと「これで良い」と思ってる自分が恥ずかしい。

感情が入ってれば入ってるほど恥ずかしい。

今日の文章もきっと、二年もしたら恥ずかしくなる気がする。

 

 

 

 

*1:本当にいつも嬉しく思っています。ありがとうございます

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