ある一人の気持ち。【「生産性がない」という言葉を受けて】
七月二十三日、夜。
自由民主党・衆議院議員の杉田水脈さんの「生産性がない」という発言を知った。
そして翌日はこのことが頭から離れず、ずーっとモヤモヤとした気持ちのまま一日を過ごしてしまった。
私は「LGBTQ」で言うところのB(バイ)なのだけど、今はMtFのトランスジェンダー(戸籍変更はしていない)と結婚している。
私は子供の頃から、女性的な男性に惹かれていた。
実際、好きになるのは男の子(別段女性的ではない)ばかりだったし、女の子を恋愛対象として見たことは一度もなかった。
中学までは。
高校生の時、初めて女の子を好きになった。
はじめはフツーの友達で、段々と私にだけ心を許してくれる彼女の「力になってあげたい」と思うようになって「守りたい」から「誰にも渡したくない」の三段活用で、見事大好きになっていた。
彼女は異性愛者で、その時同学年の男の子に片思い中だった。が、私は何ヶ月もかけて「友達以上」の関係になった。
私は彼女が可愛くて仕方なかった。
いつも一緒に居たので私が先に登校して、後から彼女が登校したりすると「おかだんご〜彼女がきたよ〜」などと友達に言われたりした。
自分が女の子を好きなったことに少し驚いたけど、なっちまったもんは仕方ねぇ、そんなことより好きなんだ!!!という感じで、あまり深くは考えなかった。
ただ「彼女がきたよ〜」と軽く言われることは気にも留めなかったけど、友達に真剣に(かどうかわからないけど)「本当はどうなの・・・?」と聞かれたこともあって(と、いうことはそう思われていたのだろう)その度に「だったらどうする?」などと言って絶対に自分の口から「恋愛感情で好き」とは言わなかった。
私の友達層と彼女の友達層が違っていて私が「私の友達に言っても良いかな」と思っても彼女は絶対に言わないで欲しいと言っていたし、私は私で、彼女の友達にはあまり言って欲しくないとも思っていた。
本当はやっぱり自分の友達には言いたかったけど、知らない人にまで伝わって「あの子たち、そうなんだって」とか言われたり、学校という狭いコミュニティーの中で「変な目」で見られるのは絶対に嫌だった。男女で付き合っているだけでも噂になるのに、同性で、なんて私にはとても言えなかった。*1
彼女はたまに「この関係、いつまで続くのかな・・・(異性と)結婚しても、子供を産んでもおかだんごちゃんとはずっと仲良しで居たい」などと言ってくることがあった。
私は、誰とも結婚なんてして欲しくなかったし、ずーっとこのまま私が一番近くに居たかった。けど、彼女は結婚して子供を産んで家庭を築きたい人だったし、女同士は結婚出来ないし、子供も出来ない、、、そんなことはわかっているけど、今、一緒に居られて幸せだから、と深く考えないようにしていた。
が、結局、最終的に私がフラれて「友達以上」の関係は四年で終わった。*2
これはもう十年以上前の話だけど「生産性がない」というこの一言で色んなことを思い出した。
「生産性がないから支援の必要がない」というのは、強烈な差別であると私は感じている。ずっと頭に残ってしまい、とても辛くて悲しい気持ちが拭えない(そして最終的に昨夜大号泣してしまった)。
私はたまたま性自認に違和感はないけど、トランスジェンダーの人は自分の性に違和感があったとしても生まれたままの姿では、性自認通りの温泉どころか、トイレにも入れない。
洋服を買うのも難儀する。そもそもの骨格が違うのだから中々合う服はないし、試着にも神経を使う。
パートナーは月に二回、女性ホルモンを注射しに産婦人科に通っている。
いつも二人で行って、パートナーだけが呼び出されて診療室に入っていく。
もしかしたら通院してる人の中に「おかしいな」と、感じている人も居るのかもしれない。実際はそんなこと考えている人が居なかったとしても「おかしいと思われているのかもしれない」と思ってしまうのが、私たちが今まで生きてきた現実の世界。
だから、高校生の頃の私も「大好きな人と付き合ってる」って、言いたくても言えなかった。家族にも知られたくなかった。
同性同士のカップルだから、という理由で入居を断られたりすることが差別ではなく「普通」のことだと思う?
同性同士のカップルが入居できる住居を探せば良いという話ではないでしょう。
変わって欲しいとずっと願ってきた世界。
私は私が今大事に思ってる人がトランスジェンダーなので、私以上の生きづらさを間近で見ている。
「生産性」が無いから何なの?生きづらさを感じながらも一生懸命生きようとしてるよ。
度を過ぎた支援って何のこと言ってるんですか?もしかして性適合手術が保険適用になったこと言ってるんですか?ホルモン治療って知ってます???*3
自分のまわりで差別を感じない、また、自分は気にしていないからと言って当事者の意見を「ないもの」として考えているのならそれはあまりにも鈍すぎるのでは?
私たちが感じてきた「何も悪いことではないのに押し殺すしかなかった気持ち」だとか「特別視されるかもしれない不安」を、次の世代にまで残していくつもりなの?
子供にまで「生産性がない人は支援されないんだよ」と伝えるの?
私が今までに国に納めたお金は微々たるものだけど、困っているところに使ってもらえるなら何に使ってもらっても構わない(当たり前ですが)。
だけど少なくとも、杉田議員のような考えを持っている人の給与にはなってほしくない。
考えれば考えるほど「LGBT」は「生産性がない」から支援の必要がない、というのは最大級の差別なんじゃないかと思えてくる。
特に重要なのは「生産性がない」の部分。LGBTを「病に臥せってる人」に置きかえたらどうなるの?っていうのは当たり前だけど、生産性があるから支援して生産性がないから支援しないという考え自体に、私は反発感を抱いてしまう。
それと、性嗜好ってね、遊びで人のこと好きになってるんじゃない、どうしようもなく好きになってしまうから、仕方ないものなのではないんでしょうか。
「インターネットで叩かれてる」んじゃないよ、一人一人が怒ってるんだよ。
と、いつもなるべく美味しいものと身のまわりのことだけ書こうと思ってるんですが、辛さと悲しみと怒りがあまりに強すぎて書いてしまった。
色んな人の色んな意見があるでしょうが、これが私の意見でした。
最後に、最近食べた美味しかったものの写真貼っときますね。
やきそばです。